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炎のブログ

三国一の幸せ者の俺が、幸せになるためのノウハウをコッソリと公開する。題して「幸せ力」。ついでにちょくちょく時事問題とかも。普段は立場的に真ん丸なことしか言えんから、ここで匿名で本音を言いまくるのだ。

自らHAPPY編 4幸運の女神を遠ざける 「恐れ」

自らHAPPY編 4 

幸運の女神を遠ざける 「恐れ」



*************************

 

恐れを知っているから慎重になれる

 

 …が、しかし、

 

恐れに支配されると幸運を逃す

 

**************************

 

慎重さの源

 

「恐れ」という感情自体は、悪いものではありません。
恐れがあるから、人は慎重になることができます。


恐れを知らない人は、勇敢でエネルギッシュでとても強く見えます。

成功して登りつめる人も多いでしょう。
そういう人は、
危険を察知する感受性が鈍いので、危険を顧みずガンガンいきますから

 

でも、長い目でみると、そのうち必ず、


勢いあまって崖に落ちたり、
土に埋まった爆弾を踏んだり、
虎の尻尾を踏んだりします。


その結果、大失敗したり、敵に責められたり、命を落としたりします。
最近ではホリエモンがわかりやすい例でした。

 

実は、長く生き抜くことができる本当に強い人は、
恐れを知りながら恐れを制御できる人です

外から見ると大胆に見える反面、意外に内面は誰よりも臆病な面をもっていたりするものです。

ただーし、そういう人は、基本的には勇敢で、臆病さは制御しているところがミソです。

 

「恐れ」の感情をコントロールできない場合は、ダークサイドに落ちゆくのみです。

 

幸運の女神を遠ざける

 

「恐れ」の感情に支配されると、臆病者になってしまいます。


「構え!撃て!狙え!」を見てください。

http://zzaa.blog77.fc2.com/blog-category-9.html

 

チャレンジしまくって失敗を積み重ねるのが、幸福への道です。

不安を感じて慎重になるあまりチャレンジをしないのは、不幸への道です。

何もしないで漠然とした夢を見つづけている間に、人生を棒に振ってしまいます。


あらゆるチャンスには、必ずリスクを伴うのです
せっかくチャンスに巡り合っても、リスクを避けているとチャンスを全部素通りしてしまいます。
いつかリスクの無いチャンスが来るのを待っているのでしょうが、そんなものは定義上ありえません。

完璧な白馬の王子様がやってくるまで、一生恋愛しないようなものです。
はっきり言います。

 

あり得ません


 

たまに、リスクの無いチャンスの話を持ちかけてくる人がいるにはいるけど、

それは詐欺師か、悪徳商法です。
臆病な人に限って、詐欺にひっかかる傾向があるのは偶然ではありません。

リスクのあるチャンス(本物)は避けながら、リスクのないチャンス(偽物)を待ち望んでいるからそうなるのです。

 

トランプでババ抜きをしているときに、わざわざババではないカードを差し出しているのに、無視して必ずババを引いてしまう人っています。

そうやって、何か選択する度にどんどん不幸を増していく、人生下り坂一方通行の人を今まで何人も見てきました
けっけっけ。

 

・・・というわけで、「恐れ」に心が支配されると、ダークサイドに落ちてしまいます。
せっかく幸運の女神に出会っても、そのまま素通りしてしまうわけですから。
何回もやってると、そのうち幸運の女神も呆れちゃって来なくなるというものです。
永遠に幸せになれません。

 

しかも、そればかりか、かえって危険でさえあるわけです。

 

「危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。決然として立ち向かえば、危険は半分に減る」
(チャーチル)

 

・・・以上、

恐れを感じながらもあえて抑えて、

敢然と立ち向かう楽観性が幸運の女神をひきつけるのでした。


 

幸運の女神は、「悲観」を嫌って避けて行く。

 

幸運の女神は、「楽観」に魅かれてやって来る。


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テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ

  1. 2006/10/18(水) 01:20:59|
  2. 幸せ力
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自らHAPPY編 3 ダークサイド最凶の破壊力 「怒り」

自らHAPPY編 3

ダークサイド最凶の破壊力 「怒り」

********************

怒りがあるからエネルギーが生まれる

…が、しかし、

怒りに支配されると愚かになる

*********************

人間にとって「怒り」は大切な感情だ。
自分に危害を加える人に怒りを感じないと、されるがままになってしまう。
自己防衛が出来なくなる。
不正や犯罪に怒りを感じないと、なあなあになってしまう。
力の強い悪に抵抗できなくなる。

しかし一方で、「怒り」が暴発した時のやばさは最凶最悪だ。
長年築き上げてきた幸せを一瞬にしてぶちこわす程の危険性すらある。
人に対して、暴言を吐いたり、殴ったり、殺したりというのは、大抵怒りで冷静さを失った場合だ。

スポーツの試合中に、ついカッとなって冷静にプレイできなくなる。
→ 勝利を失う。

売り言葉に買い言葉で、ついカッとなって友達に酷いことを言う。
→ 友達を失う。

気に入らないことがあって、ついカッとなって恋人につらく当たる。
→ 恋人を失う。

職場でムカつくことがあって、ついカットなって上司に逆らう。
→ 仕事を失う。

道端で喧嘩して、ついカットなって殴って大怪我をさせる。
→ 人生を失う。

いつもカッカカッカして、胃潰瘍・高血圧・脳溢血とかの病気になる。
→ 命を失う。

プライベートでも仕事でも、人生のすべてに渡って、「怒り」の暴発は大切なものを破壊する。
一時の感情の暴発で取り返しのつかないことをしてしまい、後で後悔するということは日常茶飯事ではないだろうか。


怒るかどうかは自分で選ぶもの


「怒り」は危険だといっても、「怒るなといっても、怒らされたらどうするの?」という疑問が湧くかもしれない。
でも、感情というのは実は自分で選ぶものなんだ。
「怒り」も同じだ。
怒りは自然に湧いて出るのではなく、「怒る状況かどうか」という判断が先にあって、YESという決定をして、起こすものだ。
「怒る状況ではない」と判断したら、怒らない。
先に自分の決定がある。
最後に面白い話を2つ引用する。

**
****

*******1、「ろくでもない男」

 私は飛行機に乗っていた。ピーナッツを後で食べようとバッグの中に入れた。

 ふと気付くと、なんと隣の男がいつの間に私のバッグからピーナッツを取り出してポリポリ食べているじゃないか!
私は腹が立ったが、黙ってピーナッツを隣の男のテーブルから私のテーブルに戻した。
 男は何か言おうとしたが黙っていた。「すみませんでした」の一言もない。
 「なんて奴だ!一体どんな教育をされてきたのだろうか?」
封を開けられてしまったので、仕方なくその場で食べることにした。
 ピーナッツが残り少なくなったところで、驚いたことに、男は隣から手を伸ばしてピーナッツを取っていくじゃないか!
 「なんと厚顔無恥な男なのだろう!」
男は、何事もなかったかのように涼しい顔をしている。

 実に不愉快だ。私は、怒りを抑えるのに精一杯だった。
飛行機が到着した。降りる支度をしながら、今後の男の将来のために「ガツンと言ってやろうか」と思っているうちに
先に男が降りていった。
 「こいつ、結局、最後まで『ありがとうございました』も『すみませんでした』もなしかい。死ね!」
と独り言をいいながら、バックの中を見た。

 なんと、バッグの中にはピーナッツ袋が入っていた。

*****2、「激怒した艦長」
(スティーブン・R・コヴィー「七つの習慣」より引用)

 訓練艦隊に属する二隻の戦艦が、悪天候の中、軍事演習のために数日間に
わたる航海を続けていた。暗くなって間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。
「艦首の右舷側の進路に光りが見えます」
「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」と艦長。
見張りの答えは、「停止しています。艦長」
つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険があるということだった。
艦長は信号手に命じた。
「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険があるため、二十度進路を変更せよ、と」
相手からの信号が返ってきた。
「そちらの方が二十度進路を変えるよう助言する」
艦長は再び命令した。
「信号を送れ。私は艦長だ。二十度進路を変えるように」
すると、「こちらは二等航海士だ。そちらの方こそ二十度進路を変えるよう命令する」
と返事が返ってきた。
艦長は怒り出し、「信号を送れ。こちらは艦長だ。二十度進路を変えろ!」
と叫んだ。
点滅する光の信号が返ってきた。

「こちらは灯台である」

*****


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  1. 2006/10/13(金) 08:33:26|
  2. 幸せ力
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自らHAPPY編 2 : 奴隷をやめて主人公になろう

自らHAPPY編2

奴隷をやめて主人公になろう

感情は豊かなのが良いのは確か

人間には感情がある。感情は豊かな方が良い。
うれしいときは笑い、悲しいときは泣く。
感情がなくなると人間らしくない。
昆虫かロボットか。不気味な存在。
人間らしい感情が備わってない感情欠落の状態では、人間らしく生きられない。

喜びがあるから幸せになろうとするし、悲しみを知っているから優しくなれる。
怖さを知っているから慎重になるし、プライドがあるからより自分を高めようと努力する。
寂しいから愛を求め、愛があるから精神的に満たされる。

感情が行動のエネルギー源。感情がなければ、エネルギーも生まれない。
だから、人間らしい豊かな感情を持つことはとても大切なことだ。

では、感情が豊かならそれだけでよいのだろうか?
答は思い切りNOだ。


感情は恐ろしい猛獣でもある


感情は、コントロールできないで暴走してさせてしまうと、自分を食い殺す恐ろしい猛獣でもある。
両刃の剣なのだ。

火は、人間にとって、とても便利なものだが、扱いを間違えると生命を奪う恐ろしいものになってしまう。
酒も適量だといいが、酒に飲まれてしまうと身を滅ぼしてしまう。
感情とはそのような危険なものでもある。

すざまじい怒りに任せて行動すると、無謀で破壊的な結果につながる。
悲しみに溺れてしまうと生きる気力が失せてしまう。
怖れに覆われると逃避したり失望したりしてしまう。

感情の欠落はまずいが、逆に暴発させても命とりになるのだ。
感情をコントロールできず、逆に感情に支配され、野放しになった感情たちを暴発させてしまうことを今から「感情の暴発」と呼ぶ。


暴発する感情からの自由


よく感情のままに生きるのが、「自分らしい」とか、「自由だ」とか言う人がいるが、それは違う。
荒れ狂う感情のおもむくままに行動するのは決して自由であるとはいえない。

感情たちに支配されることは、あなたが人生の主導権を失って、感情たちの奴隷になってしまうことだ。

感情たちをマスターしよう。
人生の主人公はあなただ。
感情の奴隷になるな
感情に隷属して一度しかない大切な人生を台無しにすることはない。
感情の支配から抜け出し、自由になり、ばら色の人生を謳歌しよう。

Be a master of your emotions, never be a slave to them.

では、味方にすると頼もしい、野放しにすると恐ろしい、感情という猛獣たちを紹介する。

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  1. 2006/10/12(木) 06:29:45|
  2. 幸せ力
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北朝鮮の核実験反対の理由は「気にいらん」から

北朝鮮の核実験反対の理由は「気にいらん」から
北朝鮮の核実験が非難ごうごうなわけだが、非難する際にはっきりしておかねばならないことがある。
それは、核を保有することが「悪い」のではないということ。

アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国とかは、核を保有している。実験もしてきた。
で、なんで、こういう国は核を保有していいかというと、
前から持っているから
という理由。


簡単にいえば、
「自分たちは持つけど、自分たち以外はダメ」ということですね。
そして、日本は持っている側といっしょになって、今から持とうとしている国を非難しているわけだ。

つまり、流行の言葉でいえば、「格差の固定化」なわけだ。


俺も、北朝鮮が核を持つのは反対だ。
しかしそれは、決して正義が理由ではない。

我々日本にとって都合が悪いからだ。

日本の都合、つまり「国益」です。

そこんとこをはっきりさせずに、正義をふりかざして、「核保有は悪だ!」なんていうのはやめて、こう言いませんかね。

「(国際軍事力の)
 格差は固定させておくべきだ。
 なぜなら我々の都合(国益)に反するからだ


もっと平たくいうと、

北朝鮮の核保有に反対する理由は、「悪だから」ではなく、

「気にいらんから」。


問答無用に相手を否定するならば、正義を語るな。
素直に「我々の都合だ」というべき。
正義を語るなら、問答無用は絶対いかん。
オープンに議論すべき。

北朝鮮側からすれば、

「一部軍事大国の既得権による国家間の不平等な格差を是正する

というのが彼らの正義だろう。
それに対して正義論で語ろうとすると、イラクのときみたいに何だかうさんくさくなる。
ややこしい偽善的な正議論はやめて、

「ええい、やかましい。不平等も格差も知らん。日本の国益に反するのだ。だからダメだ」

といえばいいのだ。

自分の都合というのは、問答無用で構わんのだ。
正義という言葉を使うな。

「問答無用&正義」の組み合わせは、とーーっても危険なんだ。

なぜなら、

学校のいじめ
中世の魔女狩り
欧米の先住民虐殺
欧米の奴隷制度
日本の第二次大戦
ドイツのユダヤ人虐殺

など、
世界中の悲惨な歴史は、
常に、
「善悪二元論」が、
「正義」の名のもとに
「扇情的な集団共感」を生み
「問答無用状態」になる
ことで起こるものだからだ。

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  1. 2006/10/11(水) 06:16:54|
  2. 国際問題
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広島ドッグパークより酷い人たち

広島ドッグパーク問題がすごい騒ぎになっているという。

パークが閉鎖された後、約500匹の犬が檻に入れられたまま病気や飢餓で可愛そうな目にあっていて、その犬を救おうという運動が起こっているらしい。

運動は、ドッグパークの運営者を糾弾している。

「この人たちが怒っているのは、何に対してなんだろう?」というのが素朴な疑問として浮かぶ。

1、パーク運営者が犬たちを保険所に引き渡して殺処分にしなかったことに対して怒っている?    

  HPの様子を見ると、どうもそうではないと思われる。そりゃそうだろう。 

でも、ドッグパークの運営者が保険所に引き渡していたら、今回のような騒動はなかっただろうから、 結局、運営者は「保険所に犬を引き渡して殺処分しなかった」ことが原因で責められていることになる。 

怒っている人たちは、殺処分制度そのものをまず責めなければ、そういう矛盾が発生する。

殺処分について(広島ドッグパークよりずっと悲惨だぞ)
http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0303/28_01/index.html


2、行政上の殺処分も含めて、犬を虐殺することに対して怒っている?

  もしそうならば、ペットショップで犬を売買していることに対しても怒らなければやはり矛盾する。 殺処分される毎年50万匹もの犬猫を放置しながら、さらに別途新たに人間の都合のよいように種を操作してモノのように犬を生産しているのだから。


3、犬の生体売買に対して怒っている?  

 それなら整合性が通っているのだが、その割にはペットショップとその利用者に対して抗議してないのはなぜか?  

猫殺し作家のときもそうだが、どうも理ではなく、そのときそのときに沸きあがる感情だけで大騒ぎしているような気がする。

状況と感情との間に整合性がない。

状況の点の一つ一つに感情的に反応するが、点と点のつながりについては、一切興味がない(というか考えたくないのでわ?)ようだ。

  本当に動物愛護の精神から怒りを発しているのならば、「ペットショップとその利用者も攻撃する」のでなければ嘘だろう。

ペットショップだけではない。

 毎年50万匹大量虐殺しているのは、犬を飼っている人たちなのだ!

 http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0303/28_01/index.html
を見たらわかるように、殺されるほとんどは元飼い犬、飼い猫だ。

飼い犬・飼い猫の子供たち、そのまた子供たちも含めると、結局全部がそうなのではなかろうか?


 つまり、犬猫を飼う人がいなくなれば、50万匹の犬猫は殺されなくて済むということだ。

わかるだろうか?

ドッグパークの数千倍の規模で、犬猫の大量虐殺が毎年粛々と行われている。

そして、その犯人は「ワンちゃん可愛い!」なんて言ってる愛犬家たちなのだ。 

「必ず避妊・虚勢手術をしている。途中で一切捨てたりしない」愛犬家以外は、全員犯人なのだ。


猫も同じね。


実際のところ、ほとんどの人は、

「可愛い犬や猫を見たりする飼ったり欲望は捨てられない」
「犬や猫を虐待されるところは見たくない」

というのが本音ではなかろうか?

そうだとしたら、正義感燃やして怒り狂っている現象は、自分たちが引き起こしているものだということになるのだが。

卑しくも動物愛護らしき言葉を吐くのであれば、自分たちの欲望を律してはいかがか?

欲望を捨てられないならば、自分たちの罪も認め、人を責めるのは自粛したらいかがか?




ネットで見つけたドッグパークに関しての意見のブログです。
みんなの切実な訴えと純粋な優しい気持ちが伝わります。

広島の地獄絵図
広島ドッグパーク//現地でお手伝いしてきました。
広島ドッグパーク
広島ドッグパーク崩壊
広島ドッグパーク崩壊!
広島ドッグパーク事件の犯人・・・


こちらはかなり冷静に見ていて面白いです。

広島ドッグパーク事件を嗤う


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  1. 2006/10/10(火) 22:23:59|
  2. 動物愛護
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幸せ力 3: 幸せは「選ぶ」もの

自らHAPPY編1

     幸せは「選ぶ」もの

ただ単に、「幸せになりたいと思っている」だけではダメです。

幸不幸は、自分の意思で「選ぶ」ものです。

「幸せになりたいですか、不幸になりたいですか?」
そう聞かれれば、誰もが「幸せになりたい」と答えます。

問題は、次の質問です。


「幸せに向かう行動を選んでますか?
不幸に向かう行動を選んでますか?」


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  1. 2006/10/09(月) 20:54:25|
  2. 幸せ力
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幸せ力 2:  序論②

HAPPYになるには、2つの側面があります。
自らHAPPYになる側面、人とHAPPYになる側面。

まず、「自らHAPPY」編から始めます。
とにかく最初に自分ありきです。人と上手くやっていくのも自分だからです。
「汝自身を愛せ」です。

ここのテーマは、「人の幸不幸は、運命によって決まるのではなく、自らの選択の積み重ねによって決まる」ということです。
何が自分にできて、何が自分ができないことなのでしょうか?


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  1. 2006/10/07(土) 07:52:37|
  2. 幸せ力
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幸せ力 1: 序論①

「幸せ力」とは、幸せのなるための能力です。
幸せになるかどうかは、運で決められてしまうのではなく、自分で決めるものです。
テーマは、「Be Happy 幸せになる」です。
仕事では、「成功する」と言い換えても行けます。

口調が乱暴だったりするかも知れませんが、私自身に言い聞かせるつもりで書いてたりするので、そこら辺はご容赦ください。

「能力」といっても、知識や学力ではありません。
HAPPYになるために必要な「知識や勉強以外のこと」
です。
知識や勉強ではHAPPYになれません。

[幸せ力 1: 序論①]の続きを読む

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  1. 2006/10/06(金) 19:18:31|
  2. 幸せ力
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構え!撃て!狙え!

構え!撃て!狙え!

構え!撃て!狙え!」とは、アメリカの有名な経営コンサルタントであるトム・ピーターズの言葉。

以前にマイクロソフトが、その急速な製品展開を揶揄してよく言われていたらしい。

狙って狙って狙って、結局何もしないということがいかに多いことか。
しかも、長い時間かけて考えて狙いすましたからといって、当たるとは限らない。 

短い時間で徹底的に考え抜いて、ある程度可能性が高いと思ったら、迷わずがんがんトライするのがいい。
トライ&エラー(仮説と検証)の中で徐々に狙いを定めていった方が、やりもしないであれこれ悩むより、早く目的に達する、つまり、効率的でさえある。

石橋を叩いて叩き潰す人は、チャレンジしてダメだったことの損失を気にする。
しかし、チャンレンジしたら得られるものをみすみす逃してしまう機会損失の方がはるかに大きい。プラス、マイナスを合計すると、人生を左右するような激しい差がつくってもんだ。

挑戦する→失敗する→学ぶ
このサイクルが成功の道。

挑戦しない→失敗しない→学ばない
これは最悪。

チャレンジして失敗するのは、マイナスではない。前進だ。
リスクを考えて何もしなければ、何も得ることができない。
何も得ないどころかいろいろなものが減っていく。
時間が過ぎ、お金が減り、愛情が減る。

実は、失敗を恐れて行動しないことこそが、最大のリスクなんだ。

ちなみにホンダには「失敗表彰」という制度があったそうだ(今はどうか知りませんが)。
果敢にチャレンジを行い失敗した者を咎めるのではなく、表彰するという主旨。 

ビジネス界だけに限らない。
各界の偉大な人々が口を揃えて言っている。

チャレンジする。失敗する。それを繰り返しながら学び続ける。
それが大切なんだあー。

以下、各界の諸先輩方の言葉を引用する。
どれもじっくりと噛み締めたい、有難い、そして重い言葉だ。


************************************************

なんでもやってみなはれ、やらなわからしまへんで。
(サントリー 鳥居信治郎)

積極的に仕事をすれば、失敗するのは当たり前。
(明治食品 佐藤辰雄)

決断というのは、百パーセントの情報があったら誰でもできます。しかし、それじゃビジネス・チャンスとしてはもう遅い。本当の決断は、六〇パーセントぐらいの時でなければいけません。
(王子製紙 河毛二郎)

最も優良な会社とは最も多くの失敗をした会社であるといっても過言ではない。経営にとって最も不要なのは会社のチャレンジに水を差す社員である。
(堀紘一)

プロ意識を持て、自分の個性、長所をアピールせよ、いつもプラス指向でいけ。
(読売ジャイアンツ監督 長島茂雄)
 
普通の人と同じようにやっていたら普通のことしかできない。
(作曲家 三枝成彰)

巧遅(こうち)は拙速(せっそく)に如かず。
(孫子)

「呑舟(どんしゅう)の魚は枝流に游(およ)がず」。大志を抱く人は細かなことにこだわらない。私はこの言葉を起業家の人にすすめたい。
(アサヒビール 樋口廣太郎)

危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。決然として立ち向かえば、危険は半分に減る。何事に出会っても、決して逃げるな。
(チャーチル)

トップ・セールスマンとして成功した男とは、
一、最も多く侮辱と屈辱を受けた男である。
ニ、最も多くの断りを受けた男である。
三、最も多くの失敗と敗北を喫した男である。
(奥城良治)

少(わか)くして学べば壮にして為すことあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず。
(佐藤一斎)

心を込めて仕事をしなさい。そうすればあなたは必ず成功する。なぜなら、そういう人はほとんどいないからだ。
(エルバート・ハバード)

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  1. 2006/10/05(木) 00:37:54|
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「責任ある決定」と「無責任な批判」

「責任ある決定」と「無責任な批判」


 世の中のありとあらゆるモノや人の本質部分は、長所と短所が表裏一体になっている。
それはコインの裏表であり分離不可能なのだ。
枝葉部分ならともかく、本質部分はデメリットだけ除き取ることはできない。
デメリットを破壊するということはメリットも破壊することを意味する。

 何かを否定し新しいものに変えようとする際に大切なことは、「何を破壊しようとしているか?」をしっかり認識した上で破壊することだ。
すなわち、否定しようとしている対象のデメリットだけでなくメリットも明確に把握することが極めて大切。
そのうえで破壊するメリットとデメリットを総合的に判断して決定する。
人を否定するときもモノを否定するときも同じだ。

 デメリットを取り除く効果だけではなく、メリットを破壊する損失についても責任を負う。
それが「責任ある決定」の意味である。
 一方でデメリットだけみてむやみに否定し破壊しようとするのが「無責任な批判」の意味である。 

 「破壊するメリットについて関心を持つか、持たないか?」 それが「責任ある決定」と「無責任な批判」の見分け方だ。
責任を持つ者と万年与党の違いだ。

 無責任な者は、マイナス面のみを見て、人を批判したり、モノを破壊しようとする。
破壊した結果プラス面がなくったことを指差してさらにまた文句を言う。
どんな体制になっても永久に文句だけを言い続ける万年野党のように。
批判だけして壊すだけ壊し、その結果に対してはお構いなし。
ボイコットと批判を行い続けることでしか自己の存在をアピールできない。
価値をつくるのは人任せ、自ら創造しようとはしない。
あなた創る人、私批判する人」。
当然ながらそのような無責任な批判に我々の未来を預けるわけにはいかぬ。

「環境保護を語るならば、その代償に何を犠牲にするかを問わねばならない。
そういうバランス感覚抜きで<環境汚染=悪>というなら、一番良いのは人類がいなくなることだ。二酸化炭素を大量に排出しているのだから。
環境を汚染するもの全てを無条件に責める奴に対しては、『それなら、おまえ死んだらどうだ? おまえの存在自体も環境汚染なんだから』」
とおっしゃるお方がいたが、全くそのとおりだ。

 俺も「世の中の事象はすべてが相対的であり、絶対的な真実など存在しない」なんていう学生には、
『ほんなら、おまえ、赤信号渡れよ。車がビュンビュン走る中をな。
赤信号も車も恥も危険も痛みもおまえの体も無意味なんだろ?』と言いたい。

 俺が学生のとき、「あなたの幸せを祈らせてください」という新興宗教姉ちゃんが勧誘してくると、
俺:「俺これからバイトなんだけど」
宗教:「バイトよりずっと大事なことです。あなたの幸せは私にとっても大事です」
俺:「俺の幸せがあんたにとって大事?」
宗教:「そうです。私は人類を幸せにすることに命を捧げています」
俺:「じゃあ、1万円ちょうだい」
宗教:「・・・・。それはちょっと」
俺:「なんや、それ。えらい安い命やな」
 どんな反論をしても離してくれない新興宗教も、こう言うといつも解放してくれた。
勧誘されるたびに同じ質問を何回もしたが、1万円くれる人も、代わりにバイトしてくれる人もいなかった。
人の事情はことごとく否定するのに、自分が犠牲を払うのは嫌がる。  
そんな人が軽々と「あなたの幸せを真剣に望んでいる私の言うことを聞きなさい」と言う。
なんともええかげんなもんだ。


 ホリエモンに対してマスコミが右から左に豹変したのも問題の根は同じだ。
「ホリエモンの行なう破壊の結果、何が犠牲になるか?」を問うことなく、「旧体制の破壊=時代の英雄」という安易な図式をつくりあげた。日本の伝統的な価値感を否定していたのだ。
そしてホリエモンが逮捕されたら、もっともらしいご高説をたれてホリエモンを全面否定だ。

性懲りもなく、かつて熱狂的に持ち上げていた彼の良い面については完全に無視して全面的に否定している。


 安易に否定してはならない。否定には覚悟がいる。
 何かを否定するならそれに伴って犠牲となるメリットを失う覚悟を持たねばならないのだ。

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  1. 2006/10/04(水) 09:16:04|
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評論戦士SEIGI

評論戦士SEIGI

評論戦士SEIGIは、世の中にはびこる悪を倒すために、敢然と戦う社会派戦士である。
行け!SEIGI。犠牲者を守りまくれ!


 ある町で、毎月1万匹という犬や猫が大量虐殺されていた。
保健所に犬と猫が集められ、ガスによって殺され、まるでゴミのように捨てられるのだ。
その行為は「殺処分」と呼ばれ、動物愛護家の人々はその残酷さに心を痛めていた。

 そこへ評論戦士SEIGIが颯爽と登場。
SEIGIは言った。
「犬も猫も同じ地球で共に生きる仲間だ。動物の生命を奪う権利は誰にもない。
 大量虐殺など、言語道断!殺処分反対!廃止せよ」

 しかし保健所は反抗する。
「我々も好きでやっているわけではない。
 我々行政は法で決まった制度を実施しているだけだ」

「ならば、そんな悪い法律は廃止すればよいのだ」
SEIGIは、動物愛護家たちを集めて団体をつくった。
そして保健所に団体で集まって毎日抗議を行った。

 「殺処分反対!ネコちゃん、ワンちゃんは人間の友!」
SEIGIの必殺技「団体圧力」だ。


 殺処分制度は廃止された。


 犬や猫が町中にあふれた。

町の人々は歓喜の声をあげた。
「ありがとうSEIGI。これで可愛そうな犬やネコがいなくなる」


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 数ヶ月後、町では新たな問題が発生した。

 さかりのついた猫の鳴き声で夜眠れない人がでてきた。

猫が家庭ゴミをあさり、あちらこちらの道にゴミが散乱した。
去年まで綺麗だった町は、まるでスラム街のように汚くなっていた。

動物を媒介とした感染病が流行しはじめた。

 そして、子供たちが、放し飼いにされた野良犬に咬まれるという事件が続出。
殺されてしまった子供たちも数百人を超えた。


たまりかねた町の人々は、SEIGIに助けを求めた。

SEGIは言った。
「なにー!許せん。
それは行政の怠慢だ。
公衆が健康に安全に生活できるように環境を整えるのが行政の仕事だ。
それができん行政など必要ない。役所を廃止してしまえ」


怠慢な役所は取り壊された。悪い奴らはいなくなった。
ところが、町はさらにひどくなった。
治安も公共サービスも消え、町の環境は過去最悪となった。


町の人々は、またもや、SEIGIに訴えた。
「それは行政が悪い。役所を糾弾せよ」
 -「この町には役所はもうありません。この前廃止したんです」
「じゃあ、誰を責めればいいんだ?」
 -「それが。。。もう、責める相手がありません」


「ならば、私にできることはもはや何もない。
私の使命は悪を責めることだ。
責める相手がいなくなったなら、私の仕事は終わりだ。
一見落着!」


「はっはっはっ」
 SEIGIは、高らかに笑いながら町を去っていった。
町の人たちはただ呆然と立ち尽くして、SEIGIの姿が消えるのを見送った。


SEIGIは、またどこかの町で悪を糾弾するだろう。

SEIGIは行く。

この世の中から社会悪がなくなるまで。

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  1. 2006/10/01(日) 02:00:43|
  2. 評論戦士SEIGI
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学校の勉強をしても幸せにはならない。成功もしない。
あれは学者か小市民を養成するためのコースだ。
社会で成功したり、人生で幸せになるためのコースではない。

そこで、

仕事・恋愛・人間関係の全てに大満足な三国一の幸せ者の俺が、
これまでの人生の中で、学んだり、経験したりした、幸せになるための秘伝ノウハウをコッソリと公開する。

といっても、別に俺独自の理論というわけではない。

実は、聖書・仏教・儒教・成功哲学といった古今東西の宗教・哲学の底流に共通して流れる真理だったりする。

しかし宗教・哲学関係の本って、やたら何言っているかわからんからな。なんであんなに難解な表現なのかね。

俺は、もっと粗野に格調低く、そしてわかりやすく、語ろう。
先人たちの教えに対する感謝と後輩たちへの贈り物として。

迷走する日本教育の犠牲者たる若者の皆様。
幸せになるための一助にでもなればとても嬉しく思いますよ。

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