炎のブログ

三国一の幸せ者の俺が、幸せになるためのノウハウをコッソリと公開する。題して「幸せ力」。ついでにちょくちょく時事問題とかも。普段は立場的に真ん丸なことしか言えんから、ここで匿名で本音を言いまくるのだ。

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正義ってうさんくさぽ。単純な思いやりが美しぽ

犬や猫の虐待が糾弾される一方で、
豚や牛は食料として虐殺している。

違いは、食えるか食えないか?
それとも、可愛いか、可愛くないか?

蛇やトカゲは殺してOKか。
理由は、見た目が気持ち悪いから?

ハエや蚊なら誰も文句言わんな。
理由は、小さいからか?有害だからか?

ヤンバルクイナは保護するが、鶏は保護しない。
これは、希少価値の問題だな。

ヒトラーによるユダヤ人虐殺が悪の代表になっているわけだが、
民族絶滅までやった、西欧による世界各地の先住民の大量逆殺はあまり責める人いないぞ。
その違いは何だ?

自分にとって、友好的に見えるもの、可愛く見えるもの、有益なもの、希少なもの。
非友好的に見えるもの、醜くみえるもの、有害なもの、ありふれているもの。
前者を守るのが正義で、損なうのが悪。

後者に危害を加えるのは悪ではなく、むしろ往々にして正義だったりする。

「正義」というのは、実は「都合」と言い換えた方がわかりやすくないか?

「アメリカの正義、イスラムの正義」というより、「アメリカの都合、イスラムの都合」と言った方がすんなりする。
「我らは正義で奴らは悪」だというのは、「我らの都合に奴らは反する」という意味ではないか。

そして、「人類の正義」は「人類の都合」である。

もしも、宇宙人が地球に攻めてきて、
人類の半分は大虐殺されて、
残りの人類はみな、女は子宮をえぐり取られ、男はちんこを切り取られて、奴隷にされたとする。

そんな宇宙人に対して愛護活動をする人間はいるだろうか?

いるわけがない。

逆に宇宙人の方が人類は私たちの友。私たちは人類の愛護者と言うかも知れんな。けけけ。

話を現実に戻すと、

豊かな生活のために環境を破壊するのが人間の都合ならば、
その生活を長持ちさせるために環境を保護するのも人間の都合だ。

生きるために動物を殺して食べるのが人間の都合ならば、
ペットにしたり、絶滅品種動物を保護するのも人間の都合だ。

正義の名の元に行われるどんな行為も、とどのつまりは、その人間の都合に行き着く。
博愛も同じだ。すべて境界線がつく。境界線の引き方が人によって違うだけだ。
そしてその線の引き方もまたその人の主観的な好みにすぎない。
正義も博愛も、それを正当化・美化するための飾りの言葉にすぎない。

・・・というヒンヤリした現実を現実として認めてシンミリする。そのうえで、
それでも、人間が持つ「惻隠の情」がいかに救いであることか。

合理性や個人的な好みに関係なく、ただただ、可哀想だと感じる心。
敵対する相手であっても、見かけが醜くても、自己に有害であっても、相手を思いやり情をかける心。

偉そうな「概念的正義」よりも、単純な「思いやりの心」の方が、ずっと崇高なものではないだろうか。

           ということを「寄生獣(岩明均)」は言っていると思ちた。

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岩明均

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岩明 均

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テーマ:感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2006/09/26(火) 09:17:29|
  2. 漫画
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徹底的な自由競争。相続無しっ

というわけで、格差と呼ばれている場合の多くは、

「仕事に縛られないゆとりのある人生を好む者」と「バリバリに働く上昇志向の強い者」とが、それぞれに望みどおりの道を進んで、望みどおりになっている結果にすぎないと思うので、基本的には格差は徹底的につければ良いと思う。

しかし、そういう場合がすべてではなく、実際に、仕事を選り好みせず懸命に働いても貧しい生活を余儀なくされている場合もあるだろう。その場合は確かに気の毒だ。なんとかしてあげたい。

だからといって、優秀でハードに努力をして稼いだ者からとりあげて、その富をまわすというのは「等しきものは等しく、等しからずものは等しからず扱う」という公平の原則から外れる。

自らの努力や勤労とは関係なく、恵まれている者からとるべきだろう。

そういう層が存在している。それは、親が金持ちだというだけで金持ちになっているボンボンだ。

親が金持ちだというだけで、豪邸に住み、外車を乗り回す連中がいる一方で、親の借金を返すだけのために人生を費やす人々もいる。

これを不公平といわずして、何を不公平というのだろう。


結論:
機会の平等で、徹底的に自由競争にして、徹底的に格差をつければいい。
ただし、一回一人生限り。
相続は1千万円くらいを上限にして後はとり上げる。
死んだらリセットして、子供はみな同じスタートに立たせる。


ちょっと過激なので文字をひとまわり小さくしてみた。
わりと小心者だったりする。

しかし、左翼からも保守からもこういう意見は出ないのが不思議だ。

「機会の平等」「働かざる者食うべからず」を徹底的に貫くとこうなると思うのだが。。。



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テーマ:格差社会 - ジャンル:政治・経済

  1. 2006/09/25(月) 22:22:06|
  2. 格差社会
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海外旅行でブランドを買い漁る貧民層

格差社会っていうと、正社員と非正社員との所得格差って話がすぐでるのだが、
この非正社員ってどういう人たちなんだ?
本当に働きたくても働けなくて、可哀想なくらい貧しい人もいるのかもしれないが、
そうではない人の方が多くないか?

「好きな仕事を選んで、働きたいときに働いて、やめたくなったらやめて、海外旅行にいって、ブランド品を買い漁る」っていう、世界でも稀に見る贅沢な人たちではないのか?

一回、その「非正社員」の人たちの調査をやって欲しいものだ。
「海外旅行に行っているか?」
「ブランド品をいくつ持っているか?」

そういう人たちって、社会問題にして、弱者として守るべき人たちか?

「仕事で人生を犠牲にするのは嫌。責任のあるポジションは嫌。つらい仕事は嫌。
 会社に束縛されたくない」
という非正社員の方が多いのではないか?
それができるのは、そこまで仕事をしなくたって生活に困らないからではないのか?

それは社会問題ではなく、
ここ数十年、日本が国ぐるみで追い求めてきた、
「働きすぎからの脱却」「ゆとりのある生活」なのではないか?


労働時間を減らしてもっとゆとりのある生活をしよう。
物欲一辺倒から心の豊かさを求めよう。
なんて、やってきて、それが実現されたのではないのか?

労働時間が減ったらその分収入が減った。それだけのこと。
相変わらず働きまくっている人と格差がでるのは極当然じゃないか。
それを目指してきたのではないのか?

まさか、「労働時間を減らす」「ゆとりのある生活をする」上で、さらに「収入は減らないままが良い」なんて、恐ろしいことを言ってんじゃないだろうな?

「働かざる者食うべからず」なのに、働かなくても、おいしいもの食えて、テレビを見れて、ゲームができて、車を持ってて、海外旅行に行って、ブランド品を身に付けてて、こんな貧困層が世界のどこにある?

ニートはすごい。これって浮浪者じゃないか?違いは、家があってきれいな服があってまともな食事ができてしかも遊べる特権を持っているだけだ。いわば「殿様浮浪者」だ。
むしろ逆の意味で問題だと思うぞ。

「海外旅行いってブランド品を身に着けた非正社員」や「殿様のように遊んでくらせる浮浪者」が、
保護すべき対象として議論されている状態こそが異常なんだ。社会問題だ。

不当に贅沢をしている特権人種として糾弾するならわかるが、
貧民層として犠牲者扱いする国の姿は、わけわからんぞ。

昔、共産主義者は、資本家を働かずして利益を得る不当な不労生活者として糾弾した。
働かずしてこういう贅沢している連中は、どんなに過酷に働いても惨めな生活を強いられる世界の貧民層からみたら、まさに「不当な不労生活者」ではないか。

結論:
格差を国内の相対比だけで見るな。
問題は、実際どのくらい貧困なのかだ。
非正社員のなかには世界一の贅沢人種が多く混ざっているぞ。
仕事を選り好みしながら悠々自適に暮らしている

・海外旅行に行っている
・ブランド品を持っている

という条件にあてはまる奴らは、金満国日本が生んだ「世界の贅沢者」だ。


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テーマ:格差社会 - ジャンル:政治・経済

  1. 2006/09/25(月) 21:25:34|
  2. 格差社会
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犬・猫に高い税金をかけたれ

子猫殺しの作家(坂東眞砂子)がえらい非難ごうごうだったが、変だ。

作家を責めるのはよいが、それなら、犬・猫をペットショップで買っとる奴らもその10万倍責めろ。

動物愛護という話なら、市役所とかで殺処分として何十万匹も殺されとる。

その方がよっぽど大規模で残酷な話だ。


その一方で、ペットショップがものすごい勢いで流行っている。
「ワンちゃん(猫ちゃん)大好き。家族みたいなものよ」とリボンをつけて連れまわしている間に、ものすごい数の犬猫が殺されている。

それ自体が、動物をまるでモノのように大量に製造し、大量に破棄するという酷い話だ。

人間世界でいうと、人類を皆殺しにして改造人間の世の中をつくろうとするのは、悪の組織だ。
それと同じことを犬猫に対してやっている。

血統書つきのブランド犬猫を高いお金を出して買う代わりに、保険所でかわいそうな犬猫を引き取ってやれば少なくても1匹は殺されずにすむ。
ペットショップ産業を廃止すれば、ものすごい数の犬猫が殺されずに済む。

言い換えれば、「犬猫大好き連中が何十万の犬猫を見殺しにしているのだ」
っていうか、保険所で殺される犬のほとんどは飼い犬らしいから、大量殺戮をやっているのは「犬猫大好き連中」じゃないか!

保険所の殺処分自体にも反対している人たちがいる。殺すのではなく避妊去勢をしようということらしい。
でも、避妊去勢手術をするのにはものすごいお金がかかる。そんなお金を出したくないということで、結局殺処分制度は続く。

ペットショップで買うお金や犬猫にかける贅沢な服やフードとかにかけている金を手術代にまわせばいいじゃないか。

じゃあ、「猫ちゃんワンちゃん大好き」連中は、ブランド犬猫の代わりに保険所の犬猫を飼うことができるのか?

リボンや服やバカ高いフードを与えるのをやめて、世の犬猫のために避妊去勢手術代を出すか?


しないだろう。

なぜなら、彼らが犬猫に対して持っているのは、「動物を愛する気持ち」からではなく、「自分の欲望を満たす」ことだからだ。

かわいい犬を飼いたいという欲望。リボンをつけてつれまわしたいという欲望。ブランド犬猫を持つというステイタスへの欲望。
その欲望は、プラダのバッグとかのブランド品に対する欲望と何も変わらないのだ。

 「ブランド犬を買うくらいなら保険所にいって引き取りなさい」
 「えー、そんなの嫌。だって可愛いワンちゃんが欲しいんだもん」

 動物への愛ではない。欲望だ。ブランド品を買い漁った後の日本人の次の欲望のターゲット。それがペットだ。
その欲望を満たすために、毎年何十万匹の犬猫を殺しまくっている。

作家が数匹殺すどころの騒ぎではない、巨大な動物虐待の構造だ。
そして、その犯人は他ならぬ「猫ちゃんワンちゃん大好き」連中だ。

というわけで、結論。


ペットショップでの犬猫の購入にものすごい高い税金をかけてやれ!
たばこや酒など比較にならんくらいのな。
そしてその税金で、世の犬猫全員の避妊去勢手術をしてやれ!



卑しくも、動物虐待を責めるなら、動物愛護を語るなら、それくらいやってみろ。
できないなら、「ワンちゃん猫ちゃん大好き」とか「虐待は許せない」とか言わずに、

私は何十万匹犬猫を殺してでも、
ブランド犬猫にリボンつけて連れまわす欲望を満たしたい。
グヘヘヘ


と言ってなさい。

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テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

  1. 2006/09/23(土) 17:15:46|
  2. 動物愛護
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ほのおの

Author:ほのおの
学校の勉強をしても幸せにはならない。成功もしない。
あれは学者か小市民を養成するためのコースだ。
社会で成功したり、人生で幸せになるためのコースではない。

そこで、

仕事・恋愛・人間関係の全てに大満足な三国一の幸せ者の俺が、
これまでの人生の中で、学んだり、経験したりした、幸せになるための秘伝ノウハウをコッソリと公開する。

といっても、別に俺独自の理論というわけではない。

実は、聖書・仏教・儒教・成功哲学といった古今東西の宗教・哲学の底流に共通して流れる真理だったりする。

しかし宗教・哲学関係の本って、やたら何言っているかわからんからな。なんであんなに難解な表現なのかね。

俺は、もっと粗野に格調低く、そしてわかりやすく、語ろう。
先人たちの教えに対する感謝と後輩たちへの贈り物として。

迷走する日本教育の犠牲者たる若者の皆様。
幸せになるための一助にでもなればとても嬉しく思いますよ。

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